友だちの存在

学校に行くようになってから、氣がついたら「友だち」が周りにいた。
何かを約束するわけでもなく、一緒の時間を過ごし、一緒に遊び、一緒に笑って、
いつの間にかぼくらはともだちになっていた。
一言で言えば「氣が合った」のだと思う。
氣が合わなければ、ともだちになることはないと言える。

この歳になって、まだ繋がり続けているともだちってどれくらいいるのだろうと考える。
ぼくがなにかをしてあげられたことなどほとんどない。
けれど、ぼくの呼びかけや頼みに応えてもらう形で助けてもらってばかりいる。
手伝ってほしいことがあればぼくもという氣持ちはあるのだけれど、
こちらからお願いすることのほうが多い。
それでも、こうして今も繋がりをもってくれていることに感謝しかない。

人と人は関わりながら生きているけれど、
その中でもぼくはともだちの存在にいつも助けられている。
何かをしてくれるということだけでなく、
そんなともだちがいてくれるというその存在に生きてゆく勇氣を、元氣をもらっている。
自分もだれかにとってそんな存在でいたいと思うし、
それはきっと難しいことではないと思う。
これからも、まずは目の前のことに自分なりに向き合っていくことだ。

コロナ時代になって、今の学生は、リモートでの授業を受ける様になり、
友だちに会えない、付き合いや話ができないことは、大変辛いし
青春時代の想い出づくりが少なくなってしまう。
解消してから、青春を謳歌して欲しい。

hamu

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