「校正可畏」

校正の「校」とは何なのか?
調べてみました。

「校」
《解字》 交は、人が足をX型に交差させたさま。
校は「木+交」で、木の棒をX型に交差したさま。
教える−ならうという交差した授受が行われた所を校といい、
X型に交差して引き比べる意ともなる。 (『漢字源』)

「教える−ならうという交差した授受が行われた所」が学校の「校」となり、
「X型に交差して引き比べる意」から「引きあわせて調べる。調べて正す」
という意味になり、これが校正の「校」になったというわけですね。

普段校正といえば、「引き合わせ校正」のことです。
原稿と校正刷を引き合わせて間違いを正します。
ちなみに校正には他に、
一人が原稿を、もう一人が校正刷を読む「読み合わせ校正」、
原稿を見ずに校正刷を読む「素読み校正」があり、
時間・状況により適した校正方法をとります。

『論語』に「後生可畏」との文が出てきます。
「こうせいおそるべし」と読み下し、
「後生(後から生まれてくる、後進の者)はおそるべき存在だ。
(今の我々に追いつき、追い抜かれるかもしれない)」という意味です。

新聞・出版業界には、
この「後生可畏」をもじった「校正可畏」という格言があります。
「校正おそるべし」です。

毎日新聞の前身、東京日日新聞の初代社長 福地源一郎は、
校正の間違いがなかなか無くならないのに腹を立て、
こう言って警告を発したということです。

完全に間違いを正したつもりになっても出てきてしまう校正の誤り。
「校正おそるべし」
自戒の言葉として、いつも頭にあります。

デザイン部 中里