コルチャック先生を知っていますか?

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コルチャック先生。名をヤヌシュ・コルチャックといいます。職業 は医師、作家そして教育者でした。「アンネの日記」で有名なアンネフランク、「シンドラーのリスト」で有名なオスカーシンドラー と同じ時代を生きたユダヤ系のポーランド人です。アンネやシンド ラーとくらべたら、日本では彼を知る人は少ないと思います。でも彼は欧米ではかなり有名な人で彼の死後、彼自身「平和賞」を受賞またポーランド政府は国際的に子供の権利向上、子供の福祉に貢献 した人に対し「ヤヌシュ・コルチャック賞」を設立したそうです。

彼はどんな人だったのでしようか?1878年彼はポーランドの弁 護士の家庭に生まれました。当時のポーランドは、帝政ロシアの支 配下にあり政情的には安定しているとは言えませんでしたが彼は、かなり裕福な少年時代を過ごしたそうです。でも父母が厳格だった 為、心はいつも孤独だったそうです。後に父親が精神異常をきたし 自殺、裕福は一変して貧困に変わったそうです。当時医大生だった彼は、家庭教師の仕事をして貧しい家計を助けたそうです。その時に彼は子供達に接し、そして路上にたむろする孤児たちに接し時代の惨さ大人の理不尽さを痛感したそうです。

何故その当時孤児が多かったのでしようか?当時のポーランド は、帝政ロシアの支配下にあり紛争が絶えなかった為、戦災孤児が多かった様です。事実彼も軍医として何度かの戦争を経験したようです。彼は33歳の時に孤児院を設立、孤児たちに救いの手を差し伸べたのです。孤児院の運営は順調とは行きませんでしたが、彼の 医師そして作家としての収入により、なんとか運営は出来たようです。孤児の数もほとんどがユダヤ人だったようですが200人を超えるまでになっていたようです。その間ポーランドはロシアの革命により独立、これからは平和な時代が来る、そう思い彼は孤児救済に 専念したそうです。でも平和な時代は、いつまでも続きませんでした。ナチスドイツの侵攻そして占領により事態は一変、ユダヤ人にとっての地獄が始まったのです。彼と子供達はゲットーと呼ばれるユタヤ人強制居住区に移動、ナチスドイツの管理下隔離された生活が始まったのです。非人道的な扱いに耐え、時には裏に手をまわし子供達を守りぬいたそうです。でも時代は残酷でした。独裁者ヒトラーはユダヤ人虐殺を実施したのです。強制収容所での残虐な仕 打ち、餓死、拷問、人体実験、ガス室、人を人とも思わぬ行為がユダヤ人に襲いかかったのです。 もちろん彼も彼の守ろうとした子供達も例外ではありませんでした。いや彼だけは例外でした、医師、作家そして教育者としての彼は有名だったのです。各国のユダヤ人の実力者から再三救いの手が伸びていたのです。でも彼は子供達を守る為、その救いの手を拒んだのです。そして、最後の時が来ました。ナチスドイツから強制収 容所への召集が来たのです。

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その時彼は子供達に嘘をついたそうで す「これから遠足に行くよ」と。彼の心の中は子供達を守れなかっ た悔しさでいっばいだったと思います。子供達は喜びお酒落をして 孤児院の旗を掲げ粛々と貨物列車まで行進をしたそうです。そして 乗り込もうとしたその時に「貴方だけは乗らなくて良い」ナチスドイツの将校が彼にそう言ったそうです。同胞達の尽力による彼に対する助命の特赦が降りていたのです。でもその時彼は『貴方達は間 違っている』そう言い残し子供達が待つている貨物列車に乗り込んだそうです。そして彼は200余名の子供達と強制収容所で運命を共 にしたそうです。
『貴方達は間違っている』この言葉の意味を貴方はどう考えますか?惨い時代を生き、大きな優しさ、慈愛を持ち、どんな苦境でも負けない強い意志を持った彼の言葉をどう感じますか?貴方は今、大切に思う人がいますか?その大切な人に何を感じ、何を望みますか?自分の勝手で夫、妻、親、子供を平気で殺めてしまう事件が 多すぎる時代です。もう一度おもいやり、やさしさについて考え直 してみませんか?かたい話をして御免なさい。
最後に『ヤヌシュ・コルチャック賞』日本では黒柳徹子さんが「窓際のトットちゃん」で受賞したそうです。

商品部/虎次郎

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